ごあいさつ
一人ひとりの豊かな生活をめざして・・・
社会福祉法人あいち清光会
理事長 川崎 純夫
あいち清光会は、設立発起人である故川崎昂の目指した、「一人ひとりの豊かな生活をめざして・・・」の基本理念を基に、障害がある人の権利を護りつつ、安心、安全な地域生活が送れるよう努めています。
一人ひとりのエンパワメントを引き出すためには、経験や体験がとても大切だと思っています。そのため、いろいろな事へ挑戦できる環境と機会を出来るだけ多く設定するよう努めています。
一つひとつの経験の積み重ねが自信となり今後の活動や行動へとつながると思います。そして、その中から、自分の得意な事、好きなことが見つかれば、人生が楽しく生きがいのあるものと思います。
障害をお持ちの方も、一度しかない人生を人として豊かな人生が送れるよう、そのお手伝いをさせていただきます。
法人概要
名称 | 社会福祉法人あいち清光会 |
---|---|
代表者 | 理事長 川崎純夫 |
住所 | 法人本部 〒485-0801 愛知県小牧市大字大山字岩次208-3 |
設立 | 平成10年6月 |
連絡先 | 電話:0568-47-1181 FAX:0568-47-1182 |
事業内容 | 施設入所支援/生活介護/就労継続B型/グループホーム事業/相談支援事業/日中一時支援事業/フード事業(高齢者配食サービス、ベーカリー&カフェ、イタリアンレストラン)等 |
基本理念
一人ひとりの豊かな生活をめざして・・・
基本方針
「この子、わが子なりせば」の親の愛を忘れることなかれ
支援者心得12ヵ条
- 第1条
「この子、わが子なりせば」の親の愛を忘れることなかれ
- 第2条
ゆめゆめ教育の育を忘れることなかれ
- 第3条
能力の差で人間の価値を判断することなかれ
- 第4条
人間の可能性を信じて疑うことなかれ
- 第5条
いかなる事があるも体罰を加えることなかれ
- 第6条
常に笑顔を忘れることなかれ
- 第7条
「あきらめず、怠らず、投げ出さない」三つの支援理念を忘れることなかれ
- 第8条
支援にあたっては、まず「やって見せ、言って聞かせ、やらせてほめる」ことを忘れることなかれ
- 第9条
研究は常に実践をふまえた臨床的なものであることを忘れることなかれ
- 第10条
社会事業を志さんと欲せば、施して求めることなかれ
- 第11条
公私の区別をわきまえ、良識ある行動と責任を軽んずことなかれ
- 第12条
ゆめゆめサラリーマン的に堕することなかれ
アクセス
沿革
1998年 | 6月 | 社会福祉法人あいち清光会設立認可 |
---|---|---|
1999年 | 11月 | 知的障害者更生施設(入所)サンフレンド事業開始(定員50名) |
2004年 | 4月 | 「フレンドホームこすも」事業開始(グループホーム) |
12月 | 「フレンドホームきらきら星」事業開始 (グループホーム) 居宅介護事業「フレンドサポートサンフレンド」事業開始 ※2016年3月 廃止 |
|
2005年 | 3月 | 作業棟「タイタン」竣工 ディサポート「シリウス」竣工 助成先:小牧市 |
7月 | 施設外作業所「フレンドワークジェミニ」事業開始 | |
2006年 | 11月 | 一般相談支援 「サンフレンド障害者生活支援センター」事業開始(愛知県指定) |
2007年 | 4月 | 多機能型事業所「銀河」事業開始(定員30名) |
5月 | 多機能型事業所「銀河」竣工 | |
2009年 | 3月 | 「フレンドホーム明星」事業開始(グループホーム) |
2010年 | 4月 | 「フレンドホーム一番星」事業開始(グループホーム) |
2011年 | 3月 | 作業棟「ペガサス」竣工 |
4月 | 「フレンドホームオリオン」事業開始(グループホーム) | |
10月 | ベーカリー&カフェ「シリウス」オープン | |
2013年 | 4月 | 施設入所支援定員変更 50名→40名 |
2016年 | 9月 | 陶芸工房「コロナ」竣工 |
2017年 | 4月 | 多機能型事業所「サンビレッジ」事業開始(定員34名) 「フレンドホームジュピターⅠ・Ⅱ」事業開始(グループホーム) 相談支援事業所「サンビレッジ生活支援センター」分室事業開始 |
2018年 | 1月 | イタリンアン&カフェレスト「アトリア」オープン |
2019年 | 8月 | 「フレンドホームマーキュリーⅠ」事業開始(グループホーム) |
2020年 | 9月 | 「フレンドホームマーキュリーⅡ」事業開始(グループホーム) |
10月 | サンフレンド増築工事・大規模修繕 |
あいち清光会ヒストリー
あいち清光会は、設立発起人である川崎昂(たかし)(以下、川崎)の想いにより設立されました。川崎は非嫡子として岐阜県白鳥町で生まれ、大阪の丁稚奉公を経て紆余曲折しながら教師の道に入り、昭和27年、愛知県の中学校で初めて特殊学級を創設したのが始まりでした。
昭和30年代の特殊学級卒業後の進路は、今のような福祉施設や事業所がない時代であり特別支援学校もありません。卒業後は就職させることが一般的でしたが就職できない生徒は自宅で生活するなど行き場の無い状況での生徒達をほっておくことが出来ず、昭和38年、自宅(名古屋市千種区清住町)を開放して、「ひかり学園」を始めました。
自宅を開放したひかり学園は、アットホームな雰囲気が評判となり、最初は2名の利用者から瞬く間に増え、寝る場所もなくなる状況となったため、昭和45年、教員を辞め、自宅を売却した資金をもとに、犬山市に精神薄弱者更生施設「ひかり学園」を創設しました。
その「ひかり学園」での実践が評判となり、突然、三重県熊野市の保護者達から、ひかり学園と同じ施設を、熊野市にぜひとも作ってほしいという強い要請があり、昭和58年に「紀南ひかり園」が開設されました。
「愛」の石碑
川崎は70才の時に体調不良により「ひかり学園」を退職しましたが、親亡き後の問題で親御さんたちが困っていることを知り、居てもたってもおれず、再び、知的に障害のある方が安住できる場を造らねばという想いから、小牧市にあいち清光会サンフレンドを設立する計画を立て80才の決断でした。
幼少期の境遇もあって「親の愛」の想いがとても強く、あいち清光会の理念に今も息づいています。職員に対し「支援者心得12カ条」を掲げていますが、第1条に「この子わが子なりせば、親の愛を忘れることなかれ」とあります。これは、親の愛は何事にも勝るもので、目の前にいる利用者が自分の子であったら、また、自分の兄弟であったらどう対応するかを基本としなさい、そして、福祉の心は愛であると説いています。このことは、幼い頃の境遇から培われたものだと思います
自宅を開放したひかり学園
福祉は人間の「幸福」の営みであり、人と人の「ふれあい」であります。そこに「人間愛」の心が基本でなければなりません。
これからも川崎が残した「どんなに障害が重くても心まで障害を持っていない」という言葉を大切に、あいち清光会は一人ひとりの豊かな生活をめざしていきたいと思います。